Shusay Yamamoto site山本修生
shusay yamamoto 202601
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2026 01

       
 

2026年01月31日(土)

フェミニストと家
フェミニストの理想と現実的な「家族」という女性の居場所
フェミニストの多くは女性の自立を謳うが
正直なところ女性の居場所は男性以上に「家族」だと思う
昔の権威的な家族制度のイメージで
「家」とは家長という男性中心な制度の様に思われがちだが
家長とは名ばかりのお飾りで
家の本来の主は女性が仕切っての「家」だったと思う
何故なら今自分が暮らす周囲の田舎のほぼ全世帯が
現実に家を守っているのは他所から嫁いで来た妻であるお婆さん達だからだ
養子を貰って元からその家に居たという奥様も居るが
我が家の母も含め大抵はみんな他所から来て余所者扱いを受けながらも
今の「家」を守っているのはこの御上様衆なのだ
最近The Beatlesの家族関係を調べていて分かった事だが
欧州もアジアも例外なく父親だけでは「家」は成立していない
女性の居場所こそ「家」であり、「家」があるからの女性である印象が強い
なのにフェミニストはこの「家」の部分を観ようとしない
寧ろ「家」こそが女性の進出の妨げであるかの様な論じ方をしている
果たしてそうなのだろうか?
子供を産む産まないの話もそうだが
子供を産める可能性は男にはない
男だけでは人間は増殖出来ないし、女性だけでもそうなのだが
動物を観ても「家族」は女性があって初めて成立出来る場である事には間違いない
「家」があるから帰ってくる場所があり
場所があるから「家族」なのだ
ここでの男は屋号を担ぐ為の看板的なお飾りか
参加させて貰っている側という側面が大きい
男は「家」を継げても作れない。女性あっての初めての「家」だ



2026年01月30日(金)

地上のどんなモノでも免れない「劣化」という消耗
どんなモノにも摩耗消耗などの劣化が存在する
特に道具や乗者物などは長い間使用するにはメンテが必要だ
こんな当たり前な事を考えるキッカケになったのは
子供頃好きだったF14戦闘機が現役を退いた理由について知った時だった
最新のステルス装備でない事が理由ではない
そうではない現役機種はまだまだ存在する
F14が早々に引退した理由はあの独特な可変翼にあったという事だ
気にしなかった。あの可変が可動する度に摩擦と劣化が起こり
その度にメンテ費用がかかっていたこと
F14が活躍していた海上戦闘機も同じで
米国自慢のカタパルト射出は、その度に機体へかなりの圧がかかり
やはり通常使用状態よりメンテがかかるらしい
そんな話をきっかけに
人間も生まれて来て当たり前の様に動いていた身体が
実は長年の使用で関節部が摩耗し、潤滑油も劣化していていたなんて…
現実に直面するまで実感も湧かないモノなのだ
華麗なフュギュアスケーターが長年のジャンプで
着地する度に膝や背骨に過度な負担がかかって
引退する時には実年齢に似合わないボルトや器具を埋め込んでいるとか
他のアスリートも同様な
実はそんなに万能でもない事に
無理強いさせている事実が存在する
人にもモノにも限界がある
適度にやさしく労る時間も大事だと思う
…とは言え、動かないというのではない
動かさないと益々可動部は固まって動けなくなるのも
道具や人は同じである
適度が肝心



2026年01月29日(木)

最先端の技術
歴史的にその時代の最先端の技術が国の力とイコールだった
その技術者はただの技術者ではなく
人を導く役割や街の形成をも担う存在だったと考える
「土器」「石工」「大工」「鍛冶屋」「織機」
これらの技術屋は形を変え今の世界の最先端も担って
人の暮らしに欠かせない職と金を回す形成に一役買っている
技術とは他国に代替して良いモノではない
技術とは覇権に関わる
スイスが日本を妬ましく思っている歴史は
誰よりも覇権であることの重要性を理解している証でもある
技術覇権は日進月歩で絶対に負けない事は不可能であるが
その向上心と進歩は絶対に手放してはいけないモノである
邪悪な者は技術を利用する
彼らは技術がそこに至った真意を知らない
技術の継承とはその真意を受け継ぎ
本来の目的に合わない悪用を許さない為にも手放してはいけない



2026年01月28日(水)

今月も終わるというのに、この楽しさは一体なんなんだ
いろんなことが清々しく感じるし、前向きな気分で居られる
こんなのこれまで人生になかったんじゃないだろうか
思えば色んな「たられば」を予測していた
毎日毎日明日の準備や後日の心配をし
起こってもいない事でも起きた時の対処を模索したりする人生だった
そんなことがどうでも良くなった…
正確に言えば
何か起きても好転する根拠のない自信が湧いて来る
本当は実に危険な兆候なのかもしれない…
だが「なんとかなる」
人生ってそんなモノじゃなかろうか…
こんな感覚に巡り合うまで実に長き時間を要して来た印象だ
なんとか…
なるものなのだ



2026年01月27日(火)

久々の個展というか原画展を観に出かける
巡回「花とゆめ」展と平行した白泉社の展示会だったらしい
三原順
もう既に他界なさって久しい伝説級の漫画家なのだが
改めて原稿を観たらその丁寧さ、美しさに感動した
多分今の作家の方がデッサン的にも技術的にも上手い人は多いと思う
だがこの時代の紙に向かう姿勢は
連載という大変な時間制限の中で、どの作家も匠域な仕事をなさっている
デジタルとは違う一発描きの集中力
水彩がメインだった当時の着彩技術
線の繊細さ、そこに集ったアシスタントも含め時代の熱
そして何より
「表現」という手法に模索している貪欲
遺品の中のレコードやテープにも、やっぱり!と思わせる趣向も見え
実に青春の時間が蘇った様な気分だった

夕刻、そんな気分が伝わったのか
旧友が自宅に訪ねて来た
今年はなんだか原点回帰とリスタートな気が益々してくる



2026年01月26日(月)

この年の最低気温を更新した今朝だったが
すこぶる晴天
先日注文した遊びグッズが次から次に届いてくるのに
生憎な作業で手が回らない
悔しい。暫くは手が回らないだろう…
こんなにも晴天が眩しいと感じた日はない


昨年買ったモノで良かった商品がある
口腔洗浄器だ
疑心暗鬼にも評価コメントのみに釣られ騙されたつもりで買ったのだが
すごい効果だった
もう温水便座と同じくらいに元には戻れない
ちょっと面倒だと思いつつも慣れたら、こんなに楽なモノはないと感じる
部分的にちょっと脆そうな箇所があって
そこが破損したらまた購入しなければならなそうだが
その時は多分また購入してしまうと思う
毎年無くても良い様なモノを買ってしまうご時世で
久々のヒットだった



2026年01月25日(日)

そもそもな“権利”という勘違い
この国では一応個人の権利は認められている
だがその内容は各国多少異なる
大まかに「国民の義務」を果たしている個人は国が認めている内容だ
我が国の場合はそういうことになっている
他国は似てはいても我が国とは違う
だから他国に認められている権利は日本もあって当然!であるとかの話は
主張された後、議論の後で決まるモノであって現在ではまだ不確定なのだ
他国とは同じではないのに、それを「おかしい」と
国がダメなら都や区や県、町別でもその主張を認めさせようと騒いでいる
待てない気持ちも判るが我が国は法治国家である
誰も門前払いで拒否している訳ではなく、まだ審議が必要としているだけなのだ
それぐらい何かひっかかる部分もある訳で
全てに容認は出来ない箇所もあるという事なのに
落とし所を探る話し合いの審議より強行突破を目指す方々が居る
これはもはや権利の主張ではなくて
もはや活動家の行動だ
早い話がゴリ押しで押し切りたい方々が存在する
話を元に戻すと、日本は他国とは違う
他国に存在するから日本もあるべきだという主張は些か強引すぎる



2026年01月24日(土)

所有欲
人は一つ安堵すると、また次の欲しいが始まる
所持したモノには全てに愛着はある筈だが
心が新たなターゲットに向かっている時は
それまでの愛着物に対しての愛は残念ながら同じとは言えない
集中力は全てに等しい訳ではなく熱も均等でもない
だから欲にも“限り”、限界値や縛りが存在するのだと思う
財力、倫理観、社会性、家族、土地、個数…
例えるなら
昔の武士で言えば欲しい刀があったとする
実用用と観賞用があったとしても、それ以上は余計だ
だが所有欲は「欲しい」と思えば何本でも所持したがる
クルマも同様、玩具も同様
これが他人から見れば共感して貰えないモノまで存在するのだが
ここに縛りと言うべきセーブがかかる
家族からの不評…
「そんなに必要なモノなのか…」
これで一財産潰す人間も現れるくらい、これは癖を超えた病なのだ

この病を利用したモノが資本主義だと思う
所有するには財が要る
だから社会主義国でこの病にかかっている者は
生産性に似合う財でなければならないに反する非国民と言える
本来所持出来ない欧州のクルマや高級品
彼らはこの矛盾を格差という形で自国市民に押し付けている訳だけど
その市民にだってこの所有欲を散々煽られている訳だから
不満も含めこの病は体制の脅威に等しいとも言える

方や上手くバレずに購入する方法を
自由や社会の主義体制に関わらずみんなが探っているのに
時代のデジタル化はその個人履歴さえ可視化に動いている
管理したい側と欲求に抗えず庶民や家族を騙したい者達
このイタチごっこの矛盾世界が実に人間的で面白いのだ



2026年01月23日(金)

昨日長年自分に封印していたある事の解放に動いた
正確にはこれから動き出す為の行動を開始したのだ
自分で自分に課して来た呪縛を解き
これからの自分に悔いのない生き方をする
解放は雲の間から伸びて行く陽の光の如く
昨日の私は午後から全方向にハイテンションになってしまった
中学生の私
高校生の私
全ての私にもう一度
人生知らないスキルと目標は生きる糧として必要だと思う



2026年01月22日(木)

れいわの山本太郎氏が病の為に議員を辞職する話
年齢的にも若いけど遠からずな人物の病
浜田聡氏の見解だと癌にも近い病らしく
生きている事に改めて時間の限りが在るのだと感じさせる
奇しくも先輩から
恩師の死を境にもう一度原点に立ち返りたい旨の話も出て
生きているということは
悔いを残さぬ様に好きに生きる事だと再確認をした
山本氏も何かを思って
芸能の世界に入り、何かを感じて国会に進出したのだろうから
この後の病の克服も含め、また悔いが残らぬ何かを選ぶのだろう

人生そういう選択時になって来たということだ



2026年01月21日(水)

また寒さが戻ってくるので風も強い
正月期間みたいな穏やかな時期からまた来月から寒くなる訳だ
そんな寒さが本格化する期間に受験は行われる
一見可哀想だが、日本的に言えば
全ては春からスタートさせる為の冬時のスケジュールと言った所か
そんな中、雲間から射す日差しは神の手の様に救われる
人は大変じゃないと有難みも湧かない
自然崇拝ではなく神信仰が北半球から生まれたのも
過酷さから生じたと思う
明と暗。光は影あっての存在
厳しい冬があっての春
そんな当たり前な事を思い返すのもこの時期の役目なのかもしれない



2026年01月20日(火)

昔某有名占い師がTVで
「先祖供養が疎かだからダメだ」みたいな話をして有名になったが
そもそも明治前の日本は、先祖供養も墓参りも、なんなら墓石さえ
著名でもない一般市民には馴染みのないものだった
あの話はその占い師と仏壇屋の結託関係から生まれたモノとしても
業界的に知られたものだが
先祖を敬うということは実に理に適っていると思う
先祖が居なかったら自分の存在はない
だから先祖に毎日感謝を伝える
別に悪いことでもないと思う
ただ供養をしていないからとか、疎かにしているからという理由で
先祖が罰を与えるという話は行き過ぎだし無しだと思うし
そんな自分の子孫を虐める先祖なんかある訳ない
悪さしてくるのは大抵は「注意シグナル」
今なにか起きていることへの警告みたいなモノだと私は思う
とはいえ
行き過ぎは信じなくても、物事は良い様に解釈すれば
人生も気分も良い時間を過ごせる
占い師も勧誘も
何事も脅しをかけてくる者からは距離を置くべきだ
脅しはその行動を急かせる口実に他ならない



2026年01月19日(月)

馬脚を現す
ここの日記では偉そうなことを並べてほざいている私ですが
個人的には非常に未熟で人として至っていないと反省の日々です
ですが昨今、傍目には世のために頑張ってらっしゃる偉い方が
意外にもメンタルが脆く、自己中心的で
自己顕示欲の塊な方々が多い事に驚きました
しかもこれまでの言動から世のためには己を犠牲にするかと思いきゃ
自己保身のためには平気でウソもつける方々が多いことに
残念な気持ちと同時に
人間は所詮そんな立派な方はいらっしゃらないという感想を持ちます
とは言え
下には下が居るから私はまだマシな方だという安堵ではなく
日頃ココでも書いてる様に
自分に非があれば素直に認め謝罪出来る人間であろうと思います
他人を観て思うのは
言い訳や非を取り繕おうとするから
どんどん謝罪のチャンスを失っている印象が大です
「謝罪したら負け」って言葉は
中華や半島由来の様な儒教っぽい思考だと思います
日本は非を認め非を許す文化
非は結局何処かで認めないと先には進めません
人の振り見て我が振り直せ! です



2026年01月18日(日)

良く占いでムリはするな!と言われるが
いやいや、自営業は元々無理する気は毛頭無くても
仕事が立て込んで来る時があるのだ
「じゃ断ればいいじゃん」って言われるが
自分に置き換えて考えて欲しい
一度断られた所に貴方は次回も依頼出来るか?
一旦断ると次に繋げられないリスクは非常に高い
それでも年齢も年齢だからお断りしなければいけない時はお断りする訳だ
仕事って、間があって久々に「あ、来た!」って時に限って
続けて来たり作業が同時進行になったりする事が常なのだ
ホント、バラけて来てくれたら助かるんだけど
繁忙期は会社経営者や自営業の宿命と言っていい

まぁそのお陰で経済は回っている訳だ
だからか個人的には世の中が忙しいそうな時期を避けた依頼や
オフシーズンに買い物をする様に心がけている
そう、つまりはブラックマンデーや特売期間に無縁なユーザーになっている
しかし自ら損を買って出ている意識はない
その分買いたい物を厳選して無駄な出費を出さない様にしているイメージだ

良い仕事をしたいから当然余裕を奪われる無理はしたくないけど
どうしてもって時は、全体のスケジュール配分を検討する
せっかく依頼してくれたお客様にも無礼であってはいけない
それが人として当然の事だと私は思う



2026年01月17日(土)

オールドメディアはウソは流してないと主張する
ならば
伊国の首相メローニが来日している
何故、今起きていることをスルーに出来るのか?
母がつけているテレビと聞こえるニュースには明らかな差がある
テレビ局を早期退社した社員の言葉で
テレビがおかしいと思ったきっかけに
「小泉さんが総理になるってみんな (局内) が思っていた」と語っていた
これは選挙をする前から結果有り気だったってことで
有権者の目線を無視して上からの情報だけを観ていたって事になる
この選挙に対する報道姿勢はまんま民主主義の冒涜でもある
こういう報道姿勢で公平だと主張出来る感覚もわからない
これまではどうかだか知らないが
明らかに横暴な制作をしていたことは良くわかった
だがこの体制をそのまま続けるつもりなのか?
「昔の元気な局を取り戻す!」
ラジオスターの悲劇、銀幕の終焉は彼らにも平等に来ただけの事だ
受け入れられない者の目には現状は永遠に見えない
彼らにはもう自浄作用もないのかもしれない
オールドメディアがオールドと呼ばれ始めた所以は当にココにある



2026年01月16日(金)

濃霧
雪の日でも雨の日でも多少は電線などに居たカラスも雀も
一匹も居ない
羽が濡れて重くなるからってより
鳥も視界が重要なのかな?と考察してみる


立憲と公明の新党「中道改革」?
もういい加減「中立」「中性」とか彼らに名乗って欲しくはない
リベラルさえ左傾のイメージに乗っ取られたのに
またこんなネーミングをして来た
彼らの行動は明らかに中道ではなく左翼
中道って
“中華への導き”の略称改革なんじゃないの?

しかし良い流れだ
これで善悪の囲みが明確になって来た
個別な投票には変わりないが
政党別な選択肢もわかりやすくなった
今日の濃霧とは真逆に見通しは良くなった訳だ
あつまれ!ゴキブリホイホイ



2026年01月15日(木)

人間は服を来ている方が文明人らしいけど
やっぱり寒いのは嫌だな
暑いのも困るけど…
寒いと身体が固まってしまう感覚がある
(ここで疑問が湧く)
ではなんで寒い北半球の人間に背が高い人が多く
南半球の暖かい人の背はそこまで高身長ではないのだろうか?
身体が大きい分血液の循環にも心臓の負担も増すのに…
大まかに野菜類が採れない地域では肉食文化になり
肉食は骨格が大きくなる傾向にある事はわかっているので
その所為だとは思うが
食料品が流通している現代でもなんとなくこの差を感じるのは
身体的な影響にはもっと年月がかかるって事なのか
こんなどうでも良いことを考えられる幸せを実感している



2026年01月14日(水)

昨日の久米宏氏の訃報にいつて
人が思う“使命感”というモノを考える
人は多かれ少なかれ自分が生まれて来た役割みたいなモノを考える
「自分は何のために、何を成す為にこの世に生まれて来たのだろう」と
個人的な結論を言えば
そんなモノは無い
以前も書いたがこの世に居るかもしれない神の存在から観ても
そんなことは誰も望んではいないし役割も無いし
神はそんなことを気にもしていない
ただ有りそうな説の集計から言えば
人は何かしらのカルマを背負って生まれている
魂の執念というかやり残した思いというか、過去生からのしがらみだ
これも輪廻というモノが存在するならばの話だが
この説でも自分が思う使命感はこの思いからであって
実は現在の価値観から観てもそんなに深刻なものでもない
つまりは自分が感じた使命感は勘違いから生じている可能性が大なのだ
人はなんでも自分に都合良く脚色したがる
使命なんて仰々しい意味は何処にもない

たまたま報道という世界に職を見出し
たまたま発信する側の機会を貰う
これを自分に与えられた使命だと感じる
それは個人の自由だが
情報は得た後、これを他者に広める為の
「教える」という姿勢から既に権力だという事を忘れがちだ

とはいえ、久米宏の功績といえば
1988年のパ・リーグ天王山、近鉄vsロッテ戦の中継英断だろう
あの世紀の試合、近鉄最後の闘志を伝えられたのは非常に大きい
彼が居なかったら知らなかった者も多かった筈だ
あの時あの試合を全テレビ局が無視していたのだ
それぐらい報道とは流す側の匙加減でどうにでもなる恐ろしいモノだ
彼が流さなかったら翌朝の紙面で結果だけが虚しく報じられていたのだ
久米宏の功績は
その試合を何も語らず、ただただ流した事
報道の説明という色をつけなかった事が素晴らしい仕事だった
人が面白いのは、ただの思いつきの様なきっかけから
他人に影響を与える瞬間が起きることだ

個人的に本来の報道とは
今ある情報内容と、送られた映像を
ただありのままを流せば良いと今でも思う
長い尺は、情報の前後の脈絡が判る範囲の長さで
それ以上の繋いだり、脚色になりえる説明は不要だ
知らないものは知らないままで良い
知った様に流すこと自体がウソそのものだ
情報とは「教える…」と化した時点で
視聴者より上に立った状態だからこそ
一般目線に立った報道をする立場であれば
普通以上に低姿勢で望まねばいけない仕事なのだ
この場合の傲った説明の使命感は
受け取る側に考えるという余白を与えない暴力と化す



2026年01月13日(火)

いじめ問題
この問題の根底は虐める側=悪って単純化出来ない派が居ること
それが未成年であることで社会的保護範疇であり
加害側にも保護対象で観なくてはいけないとするジャッジの曖昧さにある
個人的な私心で言わせて貰えれば
どんな子供でもアンパンマンを支持する幼少期から
何が悪で何が正義かは知っている
キャラがカワイイからバイキンマンやドキンちゃんファンも居るが
やってはいけない事はちゃんと判る
大人の世界でやってはイケナイ事を子供だからと曖昧化させては
ルールそのものの意味が無くなる
今世界中の社会が外国人問題で揉めている最中
大人までもが外国人に忖度する様な曖昧姿勢じゃ
このイジメ問題は絶対に解決出来ないと思う
そもそもこの道理や正義の問題は子供と大人の線引が必要なのか?
成人式を迎えたからやってはイケナイというモノでもない筈だ
人間としてやってはいけないモノは子供時代から明確にすべきで
暴力で解決しようとする衝動には大人がルールで明確に示すべきだ
それが社会であり、それが本来の大人の役目だ
あと
イジメにはよくある集団についてだが
何もしなかった…という取り巻きも個人的には同罪だ
何もしないんだったら、付いて行くな!だ
イジメは取り巻きという観客が居るから残忍性が暴走する
イジメの徒党に参加する様な連中も同罪というのが私の意見だ
勇気あるヤツは
イジメをする様なヤツには屈しないし、仲間にもならない
己の信念の為に他人に自分を売らない!
孤独を恐れない人間であることが大事だ

個人的に子供の暴力は暴力での抵抗でしか抑制出来ないと思っている
暴力の衝動はやり返される事で初めて相手もその危険性を知るのだ
つまりタイマンな訳だが
この機会を邪魔するのが徒党の取り巻きだ
彼らの存在がイジメの期間を延命させる餌になっているし
彼らの存在は何処までも卑怯で変わらない



2026年01月12日(月)

成人式 祝日。晴天

今日が祝日だったせいか、昨日が日曜という感覚がなかった様で
いつもの笑点を観る機会を逸してしまった

マイナス3℃
最低気温時間に「外に出せ」って出たがる猫
トイレなら家でやればいいのに…


暴れるという抗議方法
反対勢力は、自分の意にそぐわない情報を
真逆な効果に反転させる手法をよく使う。その使用例は
犯罪者をあたかも悲劇の象徴の様な扱い方をして扇動材料に使用する
これって、勢力としてどちらも利用している印象だけど
大抵元になった情報ソースを見ればその真偽はスグ判る
「先に違法」「先に手を出している」「先に警官の指示を無視している」とか
元自体が犯罪なケースが大半であるが
弁護団によると極度な緊張状態だったとか、色んな脚色がプラスされている
要はこじつけ
こんなので世の中が引っ掻き回されている
犯罪も罪も被害者もでっち上げ出来る世界
…そもそもそんなに暴れなくても主張は出来たんじゃないの?
平和な世だから受け入れられる主張を
真逆の平和的じゃない行動で訴える人たち
独裁国家じゃ強制終了なんじゃないの?
あの人達は比べるのを嫌がるけど
自由国家では何しても良いって訳でもないと思う



2026年01月11日(日)

時折雪がちらほら舞う天気

左傾の方々も本気で日本の将来を憂いていて
その危機を回避する為に懸命に今の政府を批判しているのならば
何故その説明があんなに抽象的なのか
具体的にその説明が出来ないからこそ
自分らは知っているが愚民の民にはわかるまい的な
上から目線の印象になっている
民主主義が成立する以前の戦国の世でも
民に支持されないモノは失脚する
自国から離脱する者や敵に協力する者が増えた国の末路は
何処の国でも同じだ
例えそんな独裁体制で永らえている国家は
他国との連携も協力も取り辛く例外なく貧しい
国が貧しくても民に不満があっても良い国なんて
権力者以外誰が望むのか?
…だからこそ
野党が野党たる意義を示す為にも
国民には明確な内容説明が不可欠だ
それが出来ないであれば、それは独裁者の我儘と同じでしかない

チャンスは平等に与えられている
説明する気がないのか、説明出来ないのか
他人に説明出来ない己の大義とは?
それじゃ同じ共有妄想家以外誰も納得できない



2026年01月10日(土)

フィンランドの幸福度
犯罪が少なく福祉に充実
人口が少なく競争相手が居ない分揉めないが
人が居なさ過ぎて娯楽も運営施設なく
日照問題で食べ物も美味しくはない
寒さも相まって外に出ることも少ない分他人と関わる部分も少ない
だから犯罪も少なかったのに今移民問題でトラブル中…って
我思うに
これって…日照問題以外を見れば
日本の田舎の幸福度観に似ている気がする
人が居ない分目立った揉め事がないだけ。自分の時間が作れる
だけど娯楽も未来に対する楽しみも特にないし
移住者や外国移民問題でトラブルになりかけている
利便性=人口、幸せ度=他人との距離感
これらをバランス良く保つっていうのは
日本式の他人に気を配る精神であって、欧米の個人主義とは違う様に思う
日本式も、みんなが他人に気を遣わないとこの利点は循環出来ない訳で
やっぱり日本にリスペクトがない人が増えると
日本の“日本式”はあっという間に崩壊してしまう
とはいえ、何を持って“幸せ”と感じるのか

幸せの価値観って
個人の価値観以外にない



2026年01月09日(金)

今朝は今年一番の寒さだったけど本日も素晴らしい晴天

開運と健康について
どちらも心情や状態としている見えないモノなので
結果についても明確な判りやすさも無いが
この「何事もない状態が一番」なのかもしれない
“何処も悪くない”、“何事もトラブルが起きていない”状態
これは実に重要で
これが日常で状態化すると
人は感謝や有難味を忘れがちになる
本来“何事もない日”はスペシャルなのだ
何事もなく朝を迎えられたこと、健康であること
とても幸せなこと
もっと追求すれば、人は生まれた瞬間、その存在自体が奇跡であり
今ある時間そのモノに感謝であり幸せな筈なのである

怪我も病気も行き過ぎたサインであり
サインは学びの始まりでもある

雲一つない青空は気持ち良いが
雲がないと困る世界が存在する
気温差がないと困る世界が存在する
我々はこの地上に共存させて貰っている身であり
この地の恩恵で生かさされている身であるから
今ある全てに感謝を言うべきなのだ



2026年01月08日(木)

ドキュメンタリーなどで創作現場に密着する番組があるが
通常他人やカメラ視線がある前で創作が出来る人は先ず居ない
あれはほぼ創作時の再現演技という感覚だと思う
創作時間は他人に見せるモノではないし
他人が居たら集中出来ない
稀に喫茶店などの店内で練る場合は
それはその場が自分に関係ない人物達だと割り切れる関係か
ネタの元、初歩的なラフ段階の場合だと思う
本格的な演出や形を練る時間は、やはり他人の前では出来ないと思う
特に身内や友人の前では恥ずかしくて出来るものではない

有名な話だがあのビートルズのジョンとポールの創作は
そのお互いの恥ずかしさを超えた部分で巫山戯合いながら作っていたそうで
それをヨーコという存在が壁になり
お互いの時間で個別に作る事になったという
その結果ポールもジョンも
解散後、もう一度二人で創作する機会を模索している
結局それも嫉妬深いヨーコによって実現出来なかったが
この話は極稀に共作が上手く行ったパターンで
フリーJAZZでもない限り滅多に他者とのコラボは成立し辛い
実際ポールもジョンもその後に彼ら以外の共作を試みたとする記録もない
それほど共作可能な相手は滅多に存在しないし
創作は本来一人で作る事がメインな作業だ
創作の時間とは
孤独で全体像の観えない産物の形をまとめなきゃいけない
真っ黒なトンネルを一人で歩いている様な作業なのだ



2026年01月07日(水)

正月飾りを下ろす。本日も晴天

評価が同じではないと認められない?
長く生きると人の多趣味、好き嫌いの振幅の多様性を感じるが
社会主義の認知の閉塞観は
色んな可能性や天才の芽を生み辛い環境だと再認識した
しかもその評価価値も自由主義国から生まれたモノだったりして
とにかく知らぬモノは得体が知れないと拒絶対象になるらしい
創作者は自由な国に生まれないと不幸だ
だからこそ
断言している報道や政治家には気をつけるべきなのだ
断言とは決めつけと思考の壁を意味する



2026年01月06日(火)

晴天
気持ちいいポストまでの投函散歩


昨年の戦隊シリーズの終了ニュースは
今に思えば
戦隊のシンボリック、Redの終了を暗示していたのかもしれない
そういえば街中で赤い服を見かける機会が減ったのは
長い不景気の影響かと思っていたが
そればかりではないのかもしれない
「目立つ色」「生命力の色」「情熱の色」
あ、広島や浦和やフェラ-リの低迷もその影響なのかな…
鹿島は元気そうだけど…


鳥取島根のM6.2の地震
ウソだと言われるやもしれないけど
10時20分頃、こちらでもゆったりと、それはゆったりと
長く揺れている感覚があったので気象庁のサイトを確認したら
震源が島根だとあってビックリした
ん? 確かに感じたんだけど錯覚?
翌日7日になって我が町でも震度2の観測があったと記録され安堵
近年、震度も大きくなっているが
建物の進化か、人災数が少なくて何より
とはいえ、人が住んでいない自然部の被害はある訳で
復旧も含め被災地の大変さはこれから



2026年01月05日(月)

思い出して頂ける有り難さ
不景気と手間暇な要因で年賀状を辞めているお家が多い昨今
私もそれなりに出す相手は毎年厳選している訳だが
今年は何故か出していなかった方からのお年賀が多く
ちょっと慌てる。配達日が休みな日もあって、安堵の矢先に本日も届いた
近年お付き合いも途切れた中こうやって思い出して頂けるのも有り難いし
来たおハガキはなるべく全てにお返ししたい性分もあって
新年最初の私事作業は年賀状の追加となる
なんとも幸せな雑務でのスタートじゃないか…と我ながら思う



2026年01月04日(日)

天才
身体的な才能は置いておいて、閃きな天才は
基礎的な部分を持ちつつ、その基礎の段階から
常識と言われる偏見を外すという自由な発想を持てた者で
この奇抜さは社会においては忌み嫌われる要素でもあり
時代も受け入れられたタイミングも奇跡的なモノだったりする
奇抜さとは誰にも気がつけなかった盲点を示す
進化とはこの盲点を潰すことであり
肉体的な天才は人間の限界の頂点を探ることである
これらの天才と呼ばれる才能
肉体的な才能も知識的な才能、アイデア的才能も
生まれ出る共通する条件に
その世界が平和であることが挙げられる
戦いに明け暮れて戦いに重視される世界であっては
奇抜さの才能も、身体的な才能も受け入れる条件は偏る
世の中が平和であってこその
天才という才能は見つけられやすく華が咲くモノだ
天才が多い国
それこそ人類が目指すべき世界の象徴なのではないないだろうか



2026年01月03日(土)

三が日の晴天。この率の高さよ

姪と甥の両夫婦がやって来て母も曾孫と再会
亡くなって長い弟の子らですが、本当にありがたいことです

よい日でありました



2026年01月02日(金)

朝からチラチラと初雪

驚いた、例の紅白でお騒がせな海外タレント
歌った歌詞にも原爆を連想させる内容があったと何故か海外から批判
英語圏ではない日本人はスグには気がつけない訳だが
彼女らが登場した時刻も8時14分だったと、これまた海外が敏感に指摘
これが偶然だったのか意図したものだったのかは謎のままだが
一番の問題はこれほどまでに批判対象になる火種を強行したNHK側だ
一体誰と戦っているのか?
彼らの敵は日本国民なのか?
益々良い印象とは真逆な方向に行く
これはもう自浄化する気もないって意思表示に受け止める
…っていうかこれだけ日本を見守っている海外民が居ることにも驚き
ありがたい事だ

今年は年明け早々に捲れるのも早い



2026年01月01日(木)

あけましておめでとうございます
本年もよろしくお願いします

2025年11月にこの宇宙を作ったとされる
ビッグバーンより先に意識の集合体があった説が出た
長く脳の副産物と思われた意識の方が先にこの世界に存在している
だが面白いことに
人工知能開発は知識の集合体の中からもこの意識が生まれるのでは?と
研究されている節がある
何故なら意識がないまま人に感情で接するロボットの開発はムリなのに
その可能性も含めた研究は続けているからだ
疑似でもより人間に近づけたい、或いは模倣することで何かを発見出来るか
果たして意識とはこの世界にどう存在するモノか
情報集合体からも生まれ出るモノなのか、または外から入り込むモノか
我々という個の意識のルーツを探る旅としても面白い